音楽: Yuming Compositions : FACES (初回) [LIMITED EDITION]
今回のアルバムは、ボーカリストとしての松任谷由実をクローズアップ。全曲カバー/セルフカバーで、オリジナルがあるため逃げようがありません。
作曲家としての松任谷由実さんは、歌手の技量を考えずに作曲する傾向にあります。もちろん、自分の曲もそうでした。ノンビブラートの歌い方に加えて、このような曲の難しさが原因で、ボーカリストとしての松任谷由実は、今まであまり評価されてきませんでした。しかし、今までの曲でも気をつけて聴くと、うまく歌ったものだなと感心させられることがあります。曲のねらい通りにトーンや声の表情も変えていることが、はっきりとわかるはずです。例えば、歌がうまいといわれているMISAさんも、こんなに変えて歌っていません(というか全然変えていない)。
このアルバムでは、「「いちご白書」をもう一度」、「瞳はダイアモンド」、「Woman“Wの悲劇”より」、「あの頃のまま」、「オーシャン・ブルー」、「ベルベット・イースター」、「やさしさに包まれたなら」を作曲しています。
「雨音はショパンの調べ」、「日付変更線」、「星のクライマー」は作詞のみです。
前回のアルバムに引き続き、CDのフルビットを頻繁に使い切って収録する技術を用いているようです。マスタリングはBernie Grundman(LA)、MIXはTom Tucker、Pro-Toolsも相当メインで使っているようです。そのため、アナログアンプの性能が低いプレーヤーだと、歪みが生じるかもしれません。最初の「オーシャンブルー」の低音からまずいです。オリジナルも独特の世界観に迷い込み駆け抜ける雰囲気がありましたが、このバージョンは歌もアレンジも深い霧の森を駆け抜ける感じを受けます。これは、くせになります。
続く「日付変更線」は、作曲が南佳孝氏なので、オリジナルの方がしっくりくるかもしれません。ボサノバタッチで来ると思ったら、そうでなし。ちょっとおしゃれな方向に持ってきています。「オーシャンブルー」に続き、プロデュースとアレンジをRickey Peterson氏が担当。その家族であるJason Peterson DeLaire氏のサックスも、おしゃれに花を添えています。この歌の聞き所は、最初の「置手紙に気付いたら 君は多分 溜息と 数分だけ想い出をたぐり 後は変わらず くらしに戻る」という歌詞。やはり、男が歌う方が良いのかもしれません。
「雨音はショパンの調べ」も、もう一つ何か欲しいところです。これは、松任谷正隆氏のプロデュースとアレンジです。今回のアルバムは、打ち込みっぽい印象が強く、その点も果たして?という疑問があります。しかし、実際には、リズムセクションを中心にして、打ち込みではありません。この曲も、アルバム「Acasia」あたりからのつきあいで、Vinnie Colaiuta氏(Frank Zappa関連でも有名)のドラムです。結構良いです。全体の出来はもう一つといっても、オリジナルの方より、こちらの方が好きではあります。
次の「瞳はダイアモンド」はとても良い出来です。歌が生き返ったという表現が適当なほど、良いボーカルです。なんか、しみじみとします。続く「あの頃のまま」も、わざと当時の何かを残したボーカルがとても良い。このあたりから、どっぷりと松任谷由実の世界に浸かっていくのがわかります。 そして、「いちご白書をもう一度」。これは、単独で聴くと、古臭い時代感が気になりますが、曲順が良いのです。最初に単独で聴いたとき、一瞬がっかりしましたが、アルバムで聴くととても良いです。Dean Parks氏の歪んだギターサウンドとNeil Stubenhaus氏の重いベースが重なるところも良いです。特にボーカルは、サビに来たところで、しっかり曲を自分のものにしています。それも、昔の自分ではなく、今の自分。
「Woman "Wの悲劇”より」。これは、当時何かが乗り移ったかのように実力を付けてきた薬師丸ひろ子さんのオリジナルも、とても良いのですが、このへんになると判断力がなくなるほど、どっぷりと松任谷由実の世界に浸かっているので、これも良いと言ってしまいます。ちなみに、この曲は今回の中でも相当難しい歌だそうです。Flugelのソロは、プロデュースとアレンジを担当するRickey Peterson氏つながりのDave Jensen氏で、オリジナルより生々しく、アダルトな感じになっています。
「やさしさに包まれたなら」は、シングルバージョンの荒井由実とデュエットしています。二人のコーラスが気持ちよいです。
「星のクライマー」は、このアルバムのハイライト。この曲は、前のアルバム「Wings of Winter, Shades of Summer」に入るはずだったもの。オリジナルが作られた同年、マッキンリーで消息を絶った植村直巳さんへ捧げた歌です。作曲は麗美さん(今は、岩井監督作品への関わりが深くREMEDIOSとして活動)で、オリジナルは壮大なアレンジになっており、これも味わい深いものです。今回のアレンジはよりボーカルを浮き立たせる、少し狭めの世界を展開しています。「ザイルを空にかけたの 輝く頂に誰の姿を見たの」という最後の歌詞が、じんときます。人前ではしばらく聴けません。ちなみに、「輝く」のフレーズはフルビット使いっぱなしで、歪みやすくなっています。
最後の「ベルベット・イースター」は、当時やりたかったことを純化したものになっているように感じます。ボーカルの実力が上がっていること(30年もたてば当たり前?)を、実感します。プロデュースとアレンジを担当するRickey Peterson氏のアコースティックピアノに似たキーボードとKenni Holman氏のテナーサックスが、アダルトで気だるい雰囲気を出しています。
初回限定盤には、ボーナストラックのオーシャン・ブルー/blue versionが含まれます。これは、「ベルベット・イースター」と同じメンツです。さらにブルージーな演奏です。アルバム全体での完成度を考えたとき、どちらかを選ばなくてはならなかったのでしょう。それは、このトラックを入れても、全体で60分程度であることに現れています。
私は、カバーアルバムには厳しい方です。それは、この世界でその曲に最初に命を与えたオリジナルを尊敬するからです。出来は、ANRIさんの「SMOOTH JAM〜Quiet Storm〜」と甲乙付けがたい素晴らしい出来だと思います。本当は満点にしようかと思いましたが、それは時がいつかそうさせるかもしれません。
とてもコメントが付けやすいアルバムでした。